【第21回 久留米発】事務 宮崎秀男先生 | 東明館中学校・高等学校

◆教員リレーコラム◆

第21回の担当は・・・宮崎秀男先生(事務)

お題『久留米発

 

 

 昨年暮れ、久留米を中心とする仲間たち(12名)と、同人誌『河床』の37号を発行した。2年ぶりの発行である。例年毎月1回、世間話とゆるーい文学談義を交え、寛いだ時間を過ごすのが同人の楽しみである。が、昨年はコロナで3回しか集まることができなかった。同人の過半は70を越した老男老女である。集まることが生存の安否を確認する手立てのようになってしまった。そんな中でも原稿は集まった。

 『河床』の命名は丸山豊さんだと聞いている。由来は知らなかった。だが先日、学校で「校歌プロジェクト」として、作詞者の丸山豊さんについて調べていた。丸山さん生前最後の校歌作詞だという。作曲は団伊玖磨である。(昔『パイプのけむり』というエッセイが評判でかなり続編がでていた。)私自身、昔、久留米の諏訪野町に住み、何度か診察してもらったこともあり、著作の『月白の道』をはじめ『丸山豊の声―輝く泥土の国から』を教えてあげた。ついでもあり、『月白の道』を40年ぶりに読み直した。昔読んだはずの『月白の道』では、月明りの下、大陸の高粱畑を黙々と行軍していくイメージだったが、実際には違った。ビルマのことだった。密林の中である。その終わりの方の章に「南の細道」というのがあり、撤退するのに道はなく、流れのない河床を歩いて行ったという。密林で生死の境界をさまよい、辛うじて生き延びた先にあったのが、流れのない河であり、乾涸びた河床である。最後の十数ページに何度も、「河床」「河床道」と出てくる。一例をあげると、

― ビルマからタイへの敗退兵士のながれは、あいかわらず氾濫し混雑し、そろそろこの辺境の雨季が近まってきました。・・・この中継所(野戦病院)は本部にある地図によると国境線から西へ42マイル、すなわち『死に参る』中継所とよぶようになりました。・・・

 牛車の通行もさえぎられ、・・・めいめいは2本の脚をたよりに難路を脱けるのです。・・・危篤患者を運ぶ象部隊もあるが、列のなかの子象が疲れて悲鳴をあげると前進をやめます。たとえそこが断崖の上であろうと象の隊伍はてこでも動きません。・・・こういうわけで、『死に参る』中継所では、いよいよ患者が渋滞し、死者の数がふえてゆくのです。のちに兵隊たちが恐怖を記憶して白骨の道とよんだ、ケマビューからタイのチェンマイにいたるこの河床道の、もっとも呪詛にみちた場所なのです。―

 

 同人誌『河床』が発刊したのが1983年で、丸山豊さんが『月白の道』(1970年)の続編の『南の細道』(1987年)を書き継いでいたころでもある。今回読み直して、新たに気付いたところである。

 さらに『月白の道』を頻繁に検索をかけたせいか―(古本価格がべらぼうに高く、事あるごとに調べていた。そんなことで復刊になるとは思わないが)―幸いなことに7月末に文庫本として中央公論社から出ることになった。一読、解説に谷川雁や森崎和江さんなど、丸山豊の『母音』メンバーの話も掲載されている。森崎和江さんの丸山豊さんへの想いあふるる文章が実にいい。久留米が舞台である。

 

一老兵

   

 

毎週金曜日更新! 次回は黒田真理子先生(事務) お題は『自由に探すこと』です。